何もしない
できるだけ何もしないでみようと思いました。
ブログのことやプログラミング、その他いろいろ、むさぼるように知識を得ようと忙しくしていました。
知りたいという欲が強く、また、楽しかったので中毒になっていました。
でも次第に雑念が多くなって、もやもやが増えてくることに気づきました。
楽しいことをやっているはずなのになぁと思っていたのですが、どうやらその裏側には、おカネに対する執着があるみたいです。
ブログやプログラミングを学ぶことで将来的にお金に結び付けたいという考えがありました。
アルバイトだけが収入源となっている不自由から早く抜け出したい。
今のままでは、人に会うのが恥ずかしい。
とかいう気持ちです。
しかし、これだと今の自分を否定している状態ですよね・・・?たぶん。
ダメな自分のままの状態。
いったい、どうしたら・・・?
ということで、ブログも書かない、PCさえも開かない。
できるだけ何もしないことにしました。
お金に対する執着の原因を突き止めることはしていますが。
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自分を向き合う時間が無駄
自分と向き合う時間が無駄って思ってしまう自分がいます。
それよりもたくさんの本を読んだり、ブログ記事読んだり、動画見たりして勉強した方が得のように思えてしまいます。
自分がこの先どうなりたいのかなんてお構いなしに勉強することが目的になってしまいます。
たくさん頑張ることが目的になってしまいます。
立ち止まって自分と向き合うことは、過去の記憶に触れて嫌な思いをすることがあります。
できることならそんなことしたくありません。
前に進んでいる気がしないし、面倒くさいんです。
こうして毎日ブログを書いていると自分のことがたくさん分かってきます。
頑張ること自体が人生の目的になっていた私。
今は、頑張っていないけど、頑張ることが目的になっていた過去の自分と比べても勉強量が多くなっています。
休みの日も休みません。
とにかくそれが自然で楽しいんです。
でもこのままだとまた、過去の自分に戻ってしまうかもしれません。
今日は、自分と向き合う時間を作ろうと思います。
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いい子でいて良かったこと
自分の感情を表現することを許されず、親の顔色をうかがい親に従順でいることが習慣になった私がいい子でいることで良かったことを挙げてみます。
・年上の人に好かれた
・グループの中心人物に好かれた
・上司に好かれた
・安全を得られた
・昇進が速かった
・給料が上がった
こうしてみると悪くないですね。
私は、年上の人、グループの中心人物、上司に従順なので、その人たちは、私のためにいろいろとお世話してくれました。
それにこたえるように私もその人たちのために一生懸命頑張って頑張りまくるのでした。
そうして私自身が年上になり、グループの中心人物になり、上司になっていくのですが、ここで問題が生じます。
子供の頃の私は、親には従順ですが、横の関係、下との関係を育む余裕がありませんでした。
従って、同僚や後輩との関係をうまく作ることができません。
どんなふうに接したら相手が喜んでくれるのか皆目見当がつきません。
結局、同僚や後輩のために一生懸命体を動かして尽くすことにしたのです。
彼らが喜んでくれるであろうことを先取りして行動しました。
上、横、下すべての人々に一生懸命尽くす自分ができあがりました。
友達にも恋人にも優しくできる余裕がありません。
お酒だけが友達になりました。
一番下っ端でいるときが一番幸せだったなぁ・・・。
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母親嫌いからの卒業
私の希死念慮・自殺念慮の原因であり、何よりも私を「ダメな人間」に仕立て上げた張本人の母親。
私は母親が大嫌いでした。
しかし、ここ1ヶ月で私と母の関係が良くなってきているのです。
何故かというと、私の胸の内を明かしたからでした。
「俺は何をやってもうまくいかないんだよ。」
「頑張り過ぎて疲れちゃって仕事が長続きしないんだよ。」
「他人とうまくやっていく自信もがないんだ。」
「子供の頃からおかしいんだよ。」
「だから、今こうして48歳にもなり、アルバイトしかできないんだよ。」
と。
こうしたやりとりを週に1回、繰り返して1ヶ月ほどたちました。
少しずつ変わっていきました。
お互いに諦めたのです。
今以上に人生が良くなることはないけど、今以上に悪くなることもないんじゃないかなって。
母親との関係を改善しなければ、私の幸せは来ないと考えていたので、胸の内を明かせたことはとても良かったと思います。
また、母親を全否定しないように心掛けたことも良かった点かと思います。
こうしてお互いの距離がぐっと縮んで会話が増えるようになりました。
これから二人で頑張っていこうなんて言葉を母親から聞けるようになりました。
過去にとらわれることない新しい人生を歩みたいと思います。
ようやく母親嫌いから卒業できました。
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男のくせにメソメソするな
母親と離れ知人宅に預けられた3歳児は、見捨てられるのではないかという強い不安に襲われました。
その反面、母親と一緒にいると安心感でいっぱいになりました。
安心ボケというのか分かりませんけど、いつもボーッとしてよだれを垂らしていました。
母の話も上の空で注意されてばかりです。
次第にそんな私に対して怒りを感じたようで、強い口調で叱るようになってきました。見放されてしまう不安がよぎります。
するとすぐに泣いてしまいます。
その繰り返しです。
すると見かねた父親が「男のくせにメソメソするな!」と叱りつけます。
こうして私は両親を毒親にしてしまったんんだと思います。
私は、少しずつダメに人間になっていくのでした。
小学校1年生になると、2Fの寝室で一人で寝かされるようになりました。
この瞬間を迎えるのがとても嫌でした。
天井の木目の模様が人に見えてきたり、ドアの隙間から誰かにのぞかれているかもしれないと心配したり、とにかく怖くて仕方がありませんでした。
また、両親に怖いと伝えることができませんでした。
男のくせに~と言われかねないので言えなかったんだと思います。
掛布団を頭からかぶって汗だくになりながら、ただ、眠りに入るのをひたすら待っていました。
あまりの恐怖に足音が聞こえるようになりました。
私の背後で誰かが歩いるのを感じました。
ミシッミシッと畳の上を歩く音を毎日毎日聞きました。
その人を見てしまったら最後、私は襲われてしまうと想像するとさらに恐怖が増しました。
疲れ切って眠りに入ると悪夢を見るのでした。
朝起きるとぐったりしていました。
そして日中にぼーっとするのでした。
親の話を上の空で聞く小学校1年生の私は、また、親の怒りを買うのでした。
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3歳~5歳の記憶
両親が共働きだったため、知人の家に預けられた3歳の記憶が残っています。
私以外にも預けられた子供が数人いましたが、その中には溶け込めず、いつも一人でいました。仲良く遊べたと思えば、ちょっとした意地悪な言動に反応してしまい泣いてしまうのでした。
預けられているということを理解する力がなく、母親に嫌われたのではないか、見捨てられたのではないかという不安に覆われていました。
友達のことよりも一人でシクシク泣いている方が多かったように思います。
毎日嫌な不安で悲しい気持ちで知人宅に預けられていました。
しばらくして母が専業主婦にになり、私と一緒にいる時間が増えました。
私は、日中は、ボーっとしている子で口を開けてよだれを垂らしている子でした。
「口を閉じなさい。」と注意されていました。
ほとんど親の言うことを聞き流していてとにかくボーっとしていました。
そのため、自転車の後ろのチャイルドシート(今ほど安全装備が整っていません)から転げ落ちたり、後輪のスポークに足を挟まれてケガをしたりしました。
どうやらこの頃から親のコントロールが始まったようです。
私があまりにも話を聞かないため、両親が我慢ができなくなったんだと思います。
私の生きづらさの原点なんだと思います。
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